稲盛氏の在り方「あんた花してはりまんの?」
【day1672】
こんにちは!
ワクワク働きたい組織づくりパートナー、
ビジネスコーチの大図美由紀です^ ^
本日も、ブログをお読みいただき、
ありがとうございます。
巨星堕つ。
稲盛和夫御大がお亡くなりに。
ビジネスの才覚うんぬんでなく、人として偉大な方ですよね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
本日は、とても感銘を受けた稲盛和夫さんのお話の1つをご紹介です。
2007年に東京証券取引所で東証マザーズ上場会社の経営者を対象した講演内容の一部です。
経営者の在り方について語られています。
イスラム文化の研究者で、哲学者、思想家でもあった井筒俊彦氏の本を、心理学者で文化庁長官も務めた河合隼雄氏が読んで、そのことを本に書いた。その本を岸田氏が読み、感想を新聞に寄稿したのだった。
稲盛氏はこう話す。
「井筒さんはヨガの瞑想をしていたそうです。その井筒さんがおっしゃるのには、瞑想をすると、自分が『ただ存在しているとしか言いようのないもの』で成り立っていると感じる。同時に、周囲にある森羅万象すべても『存在としか言いようのないもの』で出来上がっていると感じられる意識状態になるという。
『人は〝花がここに存在する〟と表現するが、〝存在というものが花をしている〟と表現してもおかしくないのではないか』。井筒さんは本にそう書いたそうです。
この井筒さんの本を河合さんが読み、著書の中で『あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね』と表現した。これを岸田さんが読み、何と素晴らしいことかと感じたという話が、そのコラムに書いてありました」
「あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね」というのは、何ともほのぼのとした言葉でありながら、哲学的な示唆に富む。稲盛氏は岸田氏同様、この話に大きな衝撃を受けたという。
ここからが、東証講演の肝である。
「私は一生懸命に頑張って会社を立派にし、数十億円の利益が出るようになった。そのとき、これはオレがやったんだ、オレの才能で、オレの技術で、オレが寝食を忘れて頑張ってきたのに、そのオレの給料が300万円しかないとは、割が合わんではないか、『オレが、オレが』と思った。
私はシリコントランジスタの入れ物を作り、超LSIの発展と共にセラミックのパッケージを供給しました。半導体の勃興期、私は大変な貢献をしたと思っています。そして、そういう才能をオレが持っていたから京セラが上場し、大変な利益を上げるようになったのだと考えていました。
しかし、岸田さんのコラムを読んだときから、こう思うようになりました。
『半導体が勃興していくには、ある人間が必要だった。たまたまそれが「稲盛和夫」であっただけで、ほかの存在が「稲盛和夫」と同じ才能を持っていれば、その人が代行していてもよかったはずだ。 私が一介のサラリーマンであってもおかしくはない』
つまり我々が生きている社会は、壮大なドラマだと思うのです。劇場です。その劇場で、たまたま私は京セラという会社をつくる役割を担い、京セラという会社の社長を演じることになった。ただし、それは『稲盛和夫』である必要はなく、そういう役割を演じられる人がいればよい。たまたま、私であっただけなのです。
今日は主役を演じているけれど、明日の劇では別の人が主役を演じてもよい。にもかかわらず『オレが、オレが』と言っている。それこそが、自分のエゴが増大していく元になるように思うのです。
自分の才能は、世のため人のため、社会のために使えといって、たまたま天が私という存在に与えたのです。その才能を自分のために使ったのでは、バチが当たります。エゴを増大させていっては身の破滅だと思った私は、それからエゴと闘う人生を歩いてきました」
このくだり、五感思考マネジメントで大事にしている「システムズ・アプローチ」にも通じていると思いました。
人はさまざまな関係性の中で生きています。
そして、お互いに影響を与えあっています。
何か問題が起こった時に、問題を起こした特定の個人や目についた1つの要因(モノ・カネ・情報・ルールなど)だけを原因と考えるのではなく、その人や要因が所属する組織(システム)全体の問題として捉えてみるという考え方です。
経営者は組織のトップで責任者という重責を担っていますが、組織全体もしくはお客様や社会を含めたもっと大きな範囲での役割のうちの1つと考えてみる。
すると、今までと違ったものが見えてきたり、もっといろんなリソース(資源)が使えるようになります。
また、イロイロなものをすべて1人で背負い込んでいるような孤独感から解放されたりするでしょう。
さわりの説明だけになってしまいましたが、またの機会に。
もう一段飛躍したい、社員さんをもっと生かしたい、そんな経営者を応援しています!